第3部 その他の一般諾行事 第15節 健康感謝会 健康な人はその健康を忘れがちになるが、病院を訪問すると病人が多く、その苦痛と悩みの激しいことがわかる。年に1回ぐらい(11月21日の収穫感謝会を利用するのもよい)、こうした健康感謝会といえるものを催すのがよい。それは健康な人が自分の健康に対して感謝の念を新たに燃やすと同時に、病人に対する同情を増すことにもなるからである。 賛美 聖歌 393「ここにまことの愛あり」 同 602「きのうもきょうもとわに」 聖書 詩篇103篇(病気平癒感謝会の頂にある。) 詩篇91篇(結婚記念日の項にある。) イザヤ書40章27-31節 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をっける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。 ローマ人への手紙8章1-11節(3,4,7節省略) こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。……肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。……肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 祈祷 慈愛に富みたもう天の父よ、私たちは互いに健やかで御前に相集うことを許され、今日まで保たれた私たちの健康に対して、主の尊い御名のゆえに賛美と感謝をささげる時が与えられましたことを、心から感謝いたします。 私たちはまことに弱い肉体を持つ者で、この世の生活において危険多く、病にも冒されやすい身ですが、豊かなご恩寵のゆえにその危険から救われ、病にかかった時にもいやされて今日に至りましたことは、はなはだ大いなる恵みの賜物と信じ、御名をあがめます。 私たちは神を知らないで不信仰の生活を営み、滅びに至るべき者でしたが、ただ主イエスを信じることによって尊い御救いにあずかり、悪魔の奴隷から神のしもべ・神の子、昼につく者・光の子供とされ、暗い罪の世にあって光の道を歩む者とされた恵みを深く感謝いたします。 願わくは、私たちが、今後も置かれた立場にあって、なお御手に導かれ、守られ、御旨に従って信仰の良い戦いを戦い、永遠のいのちを獲得することができるようにしてください。かくして身においても魂においても神のご栄光を現す者となり、主のご再臨の近いこの時代に、ともし火の油をととのえて、神の国とその義とを祈り求めつつ、きよい生涯を全うさせてくださいますように。主の尊い御名によってお祈りいたします。 アーメン。 賛美 聖歌 589「めぐみの高きね」 同 608「イエスはわがいのち」 証言(有志のあかし) 感謝祈祷 主の祈り 頌栄 祝祷